滋賀県から知夫村に来てまだ3週間(2023年4月現在)の富原さん。
協同組合YADDO知夫里島でマルチワークで働いています。
新たな働き方であるマルチワークは、同時にいくつかの仕事に従事することです。富原さんは主に、午前は船の「綱取り」というフェリーが島に離着岸する誘導・補助をして、午後は水産加工場で、燻製や干物などに加工するための魚を捌いています。
大学院を卒業し、自分らしい働き方を求めて人口600人の小さな島で新たな生活をスタートしたばかりの富原さんに、フレッシュなお話をお聞きしました。
新卒でYADDOへの就職を決めたのは、600人の島だから
修士論文で研究したのは、「楽しむため」のスポーツ
知夫に来る前はどちらにいらっしゃったんですか?
富原:関西の大学院で、スポーツに関する研究を行っていました。スポーツの世界では勝利を求める競技スポーツか、楽しむための生涯スポーツか、二分化されている側面があるんです。僕が興味を持って取り組んでいたのは、楽しむことが目的の「生涯スポーツ」でした。
生涯スポーツでは、どのような研究をされていたのですか?
富原:修士論文の内容は障がい者スポーツで、障がいのある人たちが健康な生活を送り、社会参加を促進するための研究をしていました。なぜこの研究をしようと思ったかというと、障害者スポーツセンターという施設でフィールドワークをしてたというのが大きいですね。そこで3年半ほど、指導員という形でアルバイトしていました。スポーツが自己実現や自己成長など、異なる目的で楽しまれているなと実感して、当時の僕は就職活動よりも、自分のための修士論文に本気で向き合い
たかったんです。だから就職先を決めるという大きなタスクを早めにこなして、とにかく修士論文を満足できるまで書き進めていましたね。
知夫という島の人間になってみたい
スポーツの分野に興味があったようですが、なぜ知夫里島に移住しようと思ったのですか?
富原:2ヶ月前に1週間滞在させてもらった時の、島の雰囲気が大きいですね。とりあえずで来てみて、村の環境を確認できたのが良かったのかなと思います。今の時代、ネットで調べれば、現地の情報は大体集められますが、この島は特に情報が少ないので、とにかく足で情報を稼ぎました。観光や島体験ツアー、隠岐汽船で復路が無料になるキャンペーンもやっていたりとか、割と気軽に来れますからね。別にいきなり就職って決め込まなくても、気軽に一回来てみてから、移住するかどうかを決めるのが一番良いのかなと思います。
なぜYADDOに就職しようと考えたのですか?
富原:「一人の人間」としてみてもらえた感覚があったからですね。東京のベンチャー企業の面談も受けてはいたんですけど、YADDO事務局長の山本さんと話していくと、他の企業とは違って流れ作業じゃなかったんです。そんなところに惹かれて「ちょっと、行ってみようかな…」と思いました。実は知夫村を知ったきっかけは、求人を見てたまたま目に入った地域おこし協力隊だったんです。ただ担当の方にどうしても「どうせ3年でいなくなっちゃう」という空気感は若干あるかもと言われたんです。僕もフィールドワークをしていたので、現場の人間になる重要性をすごく感じていたんですよね。本当の意味で、島の人間に「成る」には、中途半端な気持ちではなく、島にある会社で直接働いたほうが、知夫の方々に近づけるかなと思って、YADDO知夫里島を選びました。
これまでと全く異なる生活に変わったと思いますが、移住当初はどんな気持ちでしたか?
富原:島暮らしというよりも、単純に今までとは違う環境への不安と、若干のワクワクがありましたね。一人暮らしも初めてだったので、わからないなりに手探りでやっていくのが大変でもあり、楽しいことだとは思っていました。知夫里島に来て、仕事が始まるまでの数日間は、生活に必要なものを整えることに必死でした。ただ仕事が始まってからは不安な気持ちも晴れていきました。暮らしや村の環境にだんだん慣れてきてたというか…必死こいてついていくという感じですね。
大変だけど、どこか心がホッとする島
新しいことの連続で、挑戦の日々
マルチワークで働いているとのことですが、具体的にはどのような働き方をしているのですか?
富原:業務内容は、各事業所のニーズを聞きながら自分に合うかどうか相談しながら決めていきました。YADDO事務局長の山本さんには、港と水産加工の2つに入るという話を事前に提案いただいたんです。こちらに来てから港の職場を見学し、水産加工場の佐藤さんとお会いして直接話を聞いて決定しました。いざ始めてからは、とにかく何もかもが初めてで、全くやったことのないことばかりで…。まだ初めて数週間なので戸惑いながらも、なんとかやっていっている感じですね。
どちらも都会ではあまりないお仕事ですよね。港では何をされているのですか?
富原:基本的には、港と水産加工場にいます。綱取りでは船の離着岸がスムーズできるように、段取りを組んで、船の綱を引いて、荷物を運んでいます。船が5分しか止まらないので、自分のマイペースさに改めて気がつきましたね。笑 やはり周りとペースやスピード感を合わせないといけないので、もっと頑張らなきゃなと思います。
水産加工場では魚を扱うと思うのですが、知夫に来る前には、魚を捌いたりすることはありましたか?
富原:とにかく包丁を持つのも、魚に触ることもほとんどない生活でしたし、少しずつ教えてもらいながらやっている感じです。ちなみに、佐藤さんに直接教えていただいて、魚を捌くのは今日が初めてだったんです。三枚のおろし方や骨の取り方とか、魚ってこうなってるんだと改めて感じました。まだまだこれからですが、しっかり覚えていきたいと思います。
「あるはずのものがない」島生活は案外快適
都会での生活とはガラッと変わったと思いますが、日常生活での違いはどこで感じますか?
富原:ここでは当たり前のことなんだと思いますが、島外に出るには船を利用しなければならないことです。知夫の港は特に風の影響を受けやすいみたいで、欠航になることもあるんです。あと、自転車でほんの十数分の距離に職場があるというのは、快適だと感じていますね。今まで大学も1時間半以上、フィールドワークも2時間弱かけて通っていたので、移動ストレスがないのは、コンパクトな島ならではだと思います。満員電車など乗ることもないですからね。
都会とは違う知夫村ですが、不便と感じることは何かありますか?
富原:知夫里島には大きなスーパーもなくて、商店が2つあるだけなんです。都会にいたときのように、「夜ご飯は何を食べよう」とか、「今日はどこに買いものに行こう」という考えが生まれないのは楽ですね。選択肢が少ないのは、案外快適だったりします。
知夫村の人と自然の穏やかさに、ホッと落ち着く
村の人たちには、どのような印象がありますか?
富原:気にかけてくれる人が多いので、いい人達だなと思います。前回1週間島に滞在した時も、YADDOの山本さんが「今度来たら、船一緒に乗って魚獲りに行こうー」と誘ってくださったり、ただ歩いているだけでも島の人が声をかけてくれたり、その場でも少し喋ったりもして、優しい人が多いなと感じました。
島暮らしのなかで、心地良いと感じることとかは何かありますか?
富原:最近は気温も上がって穏やかな季節になってきたので、外に出て自然に触れることが多いです。休みの日に、のんびりと商店に行く時にも「ちょっと歩いて行こうかな」って、遠回りしたりします。家の窓からキラキラした海が見えるので、ボーッと覗き込んでみたりすると、ホッと一息つけて心が落ち着きますね。
心地よく働きながら、暮らしていきたい
大学院で学んだことは体感的に活かしたい
新卒での就職になりますが、大学院時代に研究したことを何かに繋げたいという思いはありますか?
富原:勉強とかではなく、「今こういうところに繋がっているな」というのがはっきりと実感できれば良いと思っています。「スポーツの勉強をしてきたから健康に活かす」とか直接的なことではなくても、大学で潜在的に理解してきたことが「体感的に活かせれば」良いなと考えています。ただ現時点ではそれがいつになるのか、どういう形で実現できるのかは全く想像できないんですけどね。
いつかはYADDOを卒業して、島に根付きたい
今後の仕事や暮らしはどうしていきたいですか?
富原:今までの経験も含めて、自分の培ってきたものに合うようなことを見つけたいと思います。YADDOの先輩、3人中2人はもう島内の企業に就職されているので、ずっとYADDOにいるというよりは、先輩方のように他のところで根付いていけたらなと…もちろん知夫の中ですよ。笑 今はまだ、新しい環境で必死に頑張るしかないのですが、他にもホテルやタクシーなど、いくつもの働き先があるので、いろいろ試してみたいです。いつか自分に向いているところが見つかって、そこで心地よく働きながら暮らせたらって思いますね。